中国バブルはいつ崩壊するか

最近新聞でも中国関係の記事は多く、これから中国の未来はバラ色であるかのような記事を多く見かける。

個人的にいずれは中国に住むのでこれはうれしいことだと言えるのだが、実際に暮らした感想や現在大連で働く恋人の状況を聞く限り全くそんな景気のいい雰囲気はない。

中国のインフラはひどく中途半端だし、とても先進国並みとはいえない。大連のようなIT都市でさえネット速度は日本のISDNに毛が生えた程度のものだ。

不動産価格は相変わらず上昇しているらしい。彼女の話では郊外でも一平米8000元はくだらないという。この辺で中国とほかの国の違いというか、価格相場の変動がスムースに起こらない中国独特の気質があるように感じている。

例えば、日本ではバブルの頃、不動産価格は急激に上昇したが、実際人々の景気も良かった。給料もよかったし、私は当時高校生でアルバイトばかりしていたが、そのころはライブ設営のバイトなんかが毎日のようにあって、夕方から深夜までの仕事で日給12000円ぐらいもらっていた記憶がある。

だが、中国のバブルはどうだろうか。今大連で働く彼女は3年契約を過ぎて今年契約を更新、現在はソフトウエアのテスティング業務と通訳アシスタント業務の二つの仕事を抱えている。実際には更新時にテスティングへ徐々にシフトしていき、あとから雇われる予定だった新人に引き継ぎをしてからテスティングに完全移行のはずだったのだが、会社は新人を雇う気はまったくないらしく、彼女は仕方なく会社内で二足のわらじ状態になっている。

給料はというとほとんど変わってない。なんだか詐欺みたいだねと私は言ってるのだが、中国企業の現実はこんなもんなのである。彼女の周囲では二人揃って首になってしまい、住宅ローンをなんとか親に肩代わりしてもらっていて就職が決まらなければ手放さざるを得ないような若い夫婦もいるらしいし、これじゃサブプライム一歩手前という感じなのだが、大丈夫なのか?

現在大連の就職状況は日本以上に厳しい。給与も増えたという話は聞いたことがなくて減ったという話ばかりだ。こんな状況でなぜ不動産価格は上昇を続けるのか。

大連に住んでいた時アパートを探して歩き回ったが、とんでもないボロアパートでも相場以上の物件がよくあった。日本であればアパートの状態や、その時の相場などを考えて不動産屋もアドバイスしつつこのくらいの値段だったら人が入るでしょうという価格で提供するが、大連ではそういう思考はないというのを思い知った。中国人はとにかく実質価値が下がろうと、景気が悪かろうと個人が価格を決める以上絶対に自分が買った価格以下で売るつもりはないのだと思う。もしこの想像が当てはまるのだとしたらバブルで購入した人はローンでこけて競売にでもかけられない限り、高い値段で売るのが延々と続くのだろうか。

買う人がいなければそれは無人のまま放置される。実際大連にはそういうマンションがたくさんあり、夜など眺めていると巨大なマンションで明かりがついてるのはほんの数軒だったりする。

最近の記事では不動産熱はますます上がってるようで、業者は資金の調達に必死なようだ。こうして不景気下で乱立するマンションの価格は下がるどころか上がる一方だ。供給が過剰になれば下がるのは必至だと思うが、そういうことは大連ではありえないらしい。

80後世代の若者が購入層の30パーセントを占めるといわれる中国の不動産。私の彼女を含めてちょっと煽られすぎじゃないの?と知れば知るほど不思議になる中国経済。今はもうどこまで膨れ上がるのかの方に興味津々である。

最近使ってるカメラとフィルム

風邪をひいて引きこもってるので暇で暇で仕方ない。

普段いじくらないカメラを点検したり本を整理したりするが、鼻水が非常にうっとおしい。

中版をメインにしているが、35mmも持っていく。確実にいつも腰にぶら下がってるのがGR1Sで、鞄を持ち歩いてるときはそこにX-700とPEN-Sが入っている。4台も持ち歩いてるのかと思われるかもしれないが、どのカメラもとても軽いのであまり持ち歩いてるという自覚がない。

なんでこんなに持ち歩くかというと中版は12枚しか撮影できないし、35mmは2台とも電気カメラだし、最悪PEN-Sが動くという安心感からだ。

で、これが意外と状況によって使い分けが可能だったりする。GR1Sはほぼ無音のカメラだし、PEN-Sもそう。撮影していて驚かれることはない。X-700は何気に甲高いシャッター音なので確実に振り向かれるし、中版は撮影自体がスローになる。

最近、中版にポートラとかを入れて歩くことが多くなった。この間何気なく使ってみて、珍しく現像、プリントを頼んだ。プリントサイズに見慣れないものがあって、それで頼んでみたら1枚80円だったが、えらくかわいい大きさのスクエア写真ができてきた。それ以来このサイズが気に入ってしまってもっぱらポートラで撮影してはこの小さなスクエア写真を頼むようになった。

原版をふたまわりぐらいに大きくしたようなサイズなのだが、これが妙にいい感じなのである。

ポートラのNCは柔らかい写りで私は好きだ。こんなことを書くとロモグラフィーみたいなものを想像されるかもしれないが、確かにちょっとロモっぽいというか、ポラロイドで撮影した写真を眺めてるような楽しさがある。ポラロイドは以前SX-70を持っていた。こいつは皮がばりばりになったやつで、近所の多摩川住宅のゴミ捨て場に放置されていたのを拾ったのだった。

ポラのフィルムは高くて数回しか使わなかったが、郷愁を誘うやさしい色合いが女性に受けてるのだと思う。ってことで、中版のスクエアでカラーネガをBLだか何だか忘れたが、サイズ指定してプリントするとこのポラっぽい写真が出来上がるのでお勧め。

ペンタコンシックス 覚書 02

ペンタコンシックスを持つ友人がもう一人いるのでその友人と話をした。

その友人のペンタコンシックスはバルブがきかない不良に悩まされていたので、二つともばらして中を観察しようという話になった。

一度ばらしてるので気楽にばらしていく。マウントをはずすのが若干コツがあり、単にネジをまわしただけでは外れない。ネジをいくら回しても空回りするだけになる。空回りを始めたらそこでネジ回りを軽く叩いてマウントを軽い力で数回反時計回りにひねる。するとネジの引っかかりが外れてマウントはするすると回転するのでそのままはずす。

友人はこのマウントはずしでつまづいたらしく私のやり方を見てふーんという顔をしていた。

友人のペンタコンシックスは私のよりも後期タイプで作りに若干違いがあった。まず、ペンタコンの刻印であるが、友人のは裏面まで文字が浮き出てるのに対して私のはなかった。

トップカバーのパックマンのような形の部品があるが、こいつも中身が違った。友人のはストッパーのような部分が突き出たようになってるのに対して私のはかなり自由度の高い部品の形をしている。また、ファインダーを置く場所の4点あるネジの形状も違っていて、私のは台形だったが、友人のは円形だった。

内部も少し違っていて、私のスプリングはちょっと特殊な形状だったが、友人のは素直なよく見る形のスプリングが使われていた。

さて、バルブの問題だが、それはシャッタースピードダイヤル側にある二か所のネジをいじることで解決した。下にスプリングがかましてある場所だ。

このどちらかを適当に緩めたり締めたりしてバルブの様子を観察すると右側のネジを緩めることでバルブが開くようになった。なんで治るのかいまいちよくわからなかったが、とりあえず治ったということで終了。

私のペンタコンのコマ広がりは結局どうしようもなかった。トップカバーのシャッター巻き上げ終点にある突起の皮をはがすと偏心ネジになってるのに気がつく。ネジを中心にこの突起はぐりぐり動くことでシャッターのストップ位置を微調整できるようになってるらしい。

だが、これによってできる調整は本当にわずかで微妙に駒が重なるとかそういう人には有効だが、私のように間隔の開きが大きくて10枚しか撮れないような個体にはあまり意味がない。

友人のペンタコンは完全復活したが、私のは結局また開けてみただけで終わってしまった。悔しいので友人の持ってきたカメラ用の高いグリスでグリスアップをちまちまとして閉じた。


忙しそうなふりをする人

大したことはしてないのに、さもそれが大変で忙しそうに偽装する人たちがいる。

これはちょっと社会に出てみればいろんな職場で見かけることが可能だ。そしてそういう人はとにかく自分はあれをしたこれをしたと周囲に吹聴しまくるのも特徴である。

自分を特別模範的な人間だと信じ、とにかく周囲にそれを認めさせたくてしょうがない。で、こういうのが陰でこっそり悪さをしてたりする。

このタイプは人の失敗には異常に敏感で、これまた大声で聞えよがしに大騒ぎする傾向がある。たいして、自分の失敗についてそれが多大な迷惑をかけて指摘されても聞こえないふりをしたりするのが常だ。

私はこの手の人と出会うと虫唾が走るほど嫌悪感が起こる。こういう人は周囲からはがんばりやさんで通ってたりするのであるが、ちょっと距離を置いてみていると上記のような行動が目立つ。

私一生けん命やってます!と見せびらかすように働いてる人がいる。こういうのが忙しぶる典型的なタイプで、本当に仕事をしてる人はそんなことを吹聴したりしないし、黙々と作業をこなしていくものだと思う。

昔、肉体労働のバイトをしていた頃、この両極端なタイプを同時に見る機会があって非常に興味深かった。一人は常にせわしなく無意味に動き回っていて、こっちが少しでも息を抜いてるとなんだか悪いことをしてるように感じさせる人だった。そして、何か終わるたびにそれをいちいち周囲によく言えば報告、悪く言うと手柄話のように語る。

もう一人の人はひっそりと確実に仕事をしているタイプでこっちが抱えた仕事も気がつくとその人がやってくれてたりする。別にそれをいちいちやっておいたよなどといいに来るわけでもなく、こっちが気がつくと ああ、あれはもう済んだ とつっけんどんに言い放って去る。

最初の頃はずいぶん愛想のない人だなと思ったが、しばらくしてその人は周囲に常に気を配って誰かいっぱいいっぱいになってると何も言わずに手伝ってる人だというのに気付いた。

こういう人が今はえらく減ってしまって、がんばりやさんに偽装した人の方が増えてるなと最近思う。

話は変わるが、民主党の行動を見てるとちょっとこのがんばりやさん偽装を思い出したので書いた。がんばってるように見えて案外大したことはしてなかったり、そんなことはないことを願う。

中国の結婚式

日本では結婚式に出席する時フォーマルな格好をするのは常識だが、中国では日本で言うと寝起きのような格好で出席するのが珍しくない。

中国人の結婚式写真は大きく分けて二つあり、一つは町中で大きなキャンペーンのように展開しているアルバム写真である。これが中国の結婚写真の大本命だと思って間違いない。

このアルバムは見たことのある人はわかると思うが、ものすごい演出が図られていて日本人が見るとちょっと引いてしまうような代物である。

中国人はデジタル修正を思いっきりやる傾向がある。さらにその処理も多分同じようにやってるので、どの人のアルバムも同じような写真が並ぶ。

ここまで自然な写真を拒否する傾向も珍しいというか、とにかく作為的で極度の演出を中国人は好むのだ。

夢の世界のようなアルバムを作成する一方で現実の結婚式はとんでもなくリアルな中国人風景が展開する。

野良仕事の帽子をかぶったままの老人や、ジャージ姿の若者、もう捨てる一歩手前か?というような服を着てる人多数。

テーブルの上にはペットボトルがドカンと置いてあり、普通の食堂の風景と変わらない。

アルバムと実際の結婚式のギャップが激しい。このあたりに中国人の価値観というか日本人とは全く違う世界があるように思う。

私は大連の会社に働いたとき、ネクタイなどきちんとした身なりで仕事をすることがどれほど職場の雰囲気を変えてしまうのか思い知ったが、結婚式もまた然り、ここまでラフな格好の結婚式は全然儀式としての重みもないし、やっぱりみんなフォーマルにやってこそこういう儀式は成立するんだなあと思った次第。

こんな風景なので、式の最中に写真を撮る中国人は少ないようだ。私は貧乏人だが、さすがにこの風景の中に親戚を呼ぶ勇気はない。出席してもらってこんな風景が展開してたら多くの日本人はどこかの忘年会か宴会会場に間違えて入ってしまったと思うのではないだろうか。

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Author:GADO TOKYO
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