猫の思い出
猫はかわいい。私は高校生の頃に捨てられた子猫を一度に三頭面倒見たことがある。子猫は生まれた直後で連れていった動物病院ではこういう場合母猫がいないと生き残るのは難しいと言われた。
私は元来動物好きなので、医者からアドバイスをもらいながら試行錯誤の末になんとか育てた。定期的に授乳させ排便させる。子猫は母猫におしりを舐めてもらって排便をするので適当なころ合いを見計らって濡らしたティッシュを紙縒り状にしてからそっと肛門あたりをくすぐるようにすると、子猫たちは排便するのだった。
猫の成長は早い。少し経つと目をあけ歩き出し、自分で適当にトイレを決めてそこでするようになる。必ず排泄物はきっちり埋める。このあたりは犬と違うところだ。普通は母猫が舐めてきれいにしてあげるので私の場合はちまちまと体を拭いてあげた。
子猫は完全に私を母親だと勘違いしていた。とにかく私のそばにべったりである。朝、登校しようと駅に向かう時もこっそり後をつけてくる。駅までついてきたこともあって、そんなときは仕方なく3頭とも抱き上げてまた家に戻ったこともある。
猫を最後まで面倒見たことのある人はわかると思うが、猫が家に執着して飼い主にはあまりこだわっていないというのはうそである。あれは飼い方次第という部分が強くて私のような形で育ててしまうともう猫はそれこそ犬以上に飼い主にべったりになる。
私が高校を卒業して一人暮らしを始めた頃、私はアパートでは猫を飼えないため猫を実家に置いてきた。住み始めてしばらくしてから猫はどうやって私のアパートを知ったのかいまでもわからないが、調布から大田区まではるばると家出をしてきた。
私は実家につれてかえったが、3頭のうち1頭の雌猫はそれでもしつこく私の部屋まで家出を繰り返すので大家に事情を話して私の部屋で飼うことを許してもらった。
この猫はとても落ち着いた猫だった。ご飯を上げてもほかの猫が食べ終わるのを待って食べ残しを食べるような猫だった。控え目で我慢強い猫というのがこの猫の印象だ。私は半分妹のような形でこの猫に接していたが、飼い始めて10年ほど経った頃、たまに自分よりも年齢が上に感じるようになった。実際に生きてる年数は私のほうが上なのだが、猫の態度や振る舞いを見てるとどっしりと落ち着いた態度と妙な気品すら感じた。
やがて、さらに10年が経ったとき、もう20年も生きた老猫は兄弟の中で一番長生きして死んだ。死んだのは今交際している中国の恋人と出会い私が大連に行こうか迷っている時だった。
この猫を置いていくことは絶対にできないし、最悪大連まで連れて行こうと思っていた矢先に猫は死んだ。私にとってこの猫はある意味人間の友人以上であり、家族以上の存在だった。それが生涯の恋人と思える人との出会いのタイミングで死んでいった。
この猫は人の好き嫌いが激しく、嫌いな人には近寄りもしない子だったが、初対面でも好意を持てる人には気安い猫だった。私はこの猫の人判断を半分信じていて友人ができるとこの猫に会わせていた。この猫が気に入る人は良い人、気に入らない人はなにかしら問題のある人だと漠然と思うようになっていた。
なので、私はこの猫と今交際している大連の恋人を一度会わせたかった。逆にこう思うこともある。今の恋人の登場でこの猫は去って行ったのではないかと。いわば私の精神的なよりどころでもあったこの猫の役目は終わったのかのような死だった。
シンクロニシティの一種というかこうしたことは時折日常の中で見られるものだ。
たとえば、私の祖父の家はもうすぐ取り壊されるが、毎年たくさんの実をつけていた大きな梅の木は今年実をつけなかった。この木は家とともに撤去される。木も自分の運命を知ってるのか偶然なのか何十年と実をつけていたこの木は取り壊しの決まった今年に限って実をつけなかった。
主をなくしたとき、それは幕を下ろすかのようにあっさり表舞台から去ってしまうことがある。そんな出会いのバランスが微妙に保たれているのが人生なのかもしれない。生きるというのはいわば他者との共時性を展開していく過程なのだ。
私は元来動物好きなので、医者からアドバイスをもらいながら試行錯誤の末になんとか育てた。定期的に授乳させ排便させる。子猫は母猫におしりを舐めてもらって排便をするので適当なころ合いを見計らって濡らしたティッシュを紙縒り状にしてからそっと肛門あたりをくすぐるようにすると、子猫たちは排便するのだった。
猫の成長は早い。少し経つと目をあけ歩き出し、自分で適当にトイレを決めてそこでするようになる。必ず排泄物はきっちり埋める。このあたりは犬と違うところだ。普通は母猫が舐めてきれいにしてあげるので私の場合はちまちまと体を拭いてあげた。
子猫は完全に私を母親だと勘違いしていた。とにかく私のそばにべったりである。朝、登校しようと駅に向かう時もこっそり後をつけてくる。駅までついてきたこともあって、そんなときは仕方なく3頭とも抱き上げてまた家に戻ったこともある。
猫を最後まで面倒見たことのある人はわかると思うが、猫が家に執着して飼い主にはあまりこだわっていないというのはうそである。あれは飼い方次第という部分が強くて私のような形で育ててしまうともう猫はそれこそ犬以上に飼い主にべったりになる。
私が高校を卒業して一人暮らしを始めた頃、私はアパートでは猫を飼えないため猫を実家に置いてきた。住み始めてしばらくしてから猫はどうやって私のアパートを知ったのかいまでもわからないが、調布から大田区まではるばると家出をしてきた。
私は実家につれてかえったが、3頭のうち1頭の雌猫はそれでもしつこく私の部屋まで家出を繰り返すので大家に事情を話して私の部屋で飼うことを許してもらった。
この猫はとても落ち着いた猫だった。ご飯を上げてもほかの猫が食べ終わるのを待って食べ残しを食べるような猫だった。控え目で我慢強い猫というのがこの猫の印象だ。私は半分妹のような形でこの猫に接していたが、飼い始めて10年ほど経った頃、たまに自分よりも年齢が上に感じるようになった。実際に生きてる年数は私のほうが上なのだが、猫の態度や振る舞いを見てるとどっしりと落ち着いた態度と妙な気品すら感じた。
やがて、さらに10年が経ったとき、もう20年も生きた老猫は兄弟の中で一番長生きして死んだ。死んだのは今交際している中国の恋人と出会い私が大連に行こうか迷っている時だった。
この猫を置いていくことは絶対にできないし、最悪大連まで連れて行こうと思っていた矢先に猫は死んだ。私にとってこの猫はある意味人間の友人以上であり、家族以上の存在だった。それが生涯の恋人と思える人との出会いのタイミングで死んでいった。
この猫は人の好き嫌いが激しく、嫌いな人には近寄りもしない子だったが、初対面でも好意を持てる人には気安い猫だった。私はこの猫の人判断を半分信じていて友人ができるとこの猫に会わせていた。この猫が気に入る人は良い人、気に入らない人はなにかしら問題のある人だと漠然と思うようになっていた。
なので、私はこの猫と今交際している大連の恋人を一度会わせたかった。逆にこう思うこともある。今の恋人の登場でこの猫は去って行ったのではないかと。いわば私の精神的なよりどころでもあったこの猫の役目は終わったのかのような死だった。
シンクロニシティの一種というかこうしたことは時折日常の中で見られるものだ。
たとえば、私の祖父の家はもうすぐ取り壊されるが、毎年たくさんの実をつけていた大きな梅の木は今年実をつけなかった。この木は家とともに撤去される。木も自分の運命を知ってるのか偶然なのか何十年と実をつけていたこの木は取り壊しの決まった今年に限って実をつけなかった。
主をなくしたとき、それは幕を下ろすかのようにあっさり表舞台から去ってしまうことがある。そんな出会いのバランスが微妙に保たれているのが人生なのかもしれない。生きるというのはいわば他者との共時性を展開していく過程なのだ。

