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給料が下がったわけ

戦前における中卒というのは高学歴だった。日本は非常に貧しく子供を早く働かせないと生活できない有様だったから進学よりも就職、昔の子供は今の子供が受験で大変であるように10歳ぐらいにはもう働かなくてはならないような環境でやっぱり大変だった。

1915年ごろ日本の義務教育就学率はすでに98パーセントを超えていたが、中学教育就学率は20パーセント未満、高等教育就学率は1パーセントに満たなかった。

戦前の義務教育というのは尋常小学校までの6年制で5年制の旧制中学や高等女学校に進学するものは少数だった。

尋常小学校の上に2年制の高等小学校がありこれへの進学率は6割以上だったが、ここを出るとほとんどの子供が働きに出ていた。

つまり10歳ぐらいまでが子供時代だったわけだ。

1930年ごろ中等教育就学率は36パーセント、1940年で46パーセントである。半数の子供はすぐに働いていた。

したがって、当時は子供の2割から3割ほどしか進学しない旧制中学卒というのはかなり立派な学歴だった。さらにその中の1割ぐらいが旧制高校、大学予科へ進むので、いまのように大学進学が当たり前の時代と違って、大卒というのは非常に少ないエリートだったことがわかる。

1930年ごろは大卒がせいぜい4600人ほどしか全国でいなかったわけで大学の数も今の雨後の筍状態ではなくて少なかった。

したがって帝大を頂点とする給与格差は当たり前で社会的コンセンサスを得ていたと思われる。

田中角栄は小学校卒で有名だが、当時は小卒なんていうのはそれほど珍しくなかったわけだ。

これだけ学歴格差があると社会での待遇は雲泥の差であって、親は当然自分の子供に高学歴を望むようになる。
しかし、その高学歴信仰の果てはどうだっただろうか。

今大卒は当たり前の時代になった。これによりかつてはエリートだった大卒というものがそこらへんに転がる石ころ並の価値になった。みんなが高学歴になればそれは何の優位もなく、結局意味がなくなる。全員が百点を取るテストをやる意味がないのと同じことだ。

大学という希少価値がそこに行く人の自尊心を高め、そこに行ったにふさわしい仕事をしようという時代から、誰でも行っている、行かないとみっともない、行ったから何?普通のことなんだから別にたいした自尊心を持っていないし、普通に働ければいいじゃんという具合にその価値は薄まった。薄まったから雇う側も雇われる側も自分の労働対価を安く見積もるようになった。生活することが大事、これは戦前であれば義務教育すらまともに受けられずに働かざるを得なかった子供たちレベルの労働意識だ。

労働意識を変えなければ雇用も変わらないし、大学に行く意味についての意識を変えなければ何も生かすことはできないだろう。

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