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外国人は被爆したことがないから放射能を無駄に怖がる?

東京の五輪招致を打ち出した前都知事で日本維新の会の石原共同代表は7日、福島第一原発の汚染水問題がクローズアップされていることについて報道陣に対し、
「被曝(ひばく)体験のない外国人は放射能について非常にナーバス(神経質)になっている。ハンディキャップになっている」と語った。


五輪開催が東京に決まり、マスコミは盛り上がっている。これで7年間現実逃避のネタができたわけでまあ政府としても株価だのこれで発生する莫大な利権でうはうはである。ちなみにこれで福島の話題は封印決定かなと思われる。今後はこれについて否定的な話題は一切タブーになるはずだ。

なにしろ、一国の首相が現在も未来も原発に由来する健康問題など発生しないと言い切ったのだ。これは今現在福島にいる小児甲状腺患者の存在を否定するものだし、その原因は間違いなく放射能由来ではないということを言ったのと同じことだからだ。結局、未来にどれほど有意性を持って白血病患者が激増しようが、甲状腺を切り取るのが普通になろうが、それはみんな原発事故とは関係名という政府の方針の表明である。

さて、冒頭に引用したのは石原前都知事の発言である。この人はいかにも戦後一番言い時代をのんびりと暮らしたある世代の特徴を良く表していて私は面白く観察している。

私の父は80に近い人だが、戦後数十年たって新しくわかった事実や資料などを自分の考えに沿わないものであればすべて否定する。それがどれほど確実な資料であってもだ。

理由はこうである。自分は戦争が終わった頃に10歳で空襲も疎開もしてきた。つまり戦争体験がある世代である。したがって自分の経験がすべてであってなんでもわかっている。というようなかなり無茶な論理を平気で語る。

まあ実体験というのは確かに大事な資料ではある。しかし、そのときを生きていたからといってその時代のあらゆる事件の真相を知っているはずもないし、それは今現在私たちが生きているからといって今の時代の日本、いやもっと小さくして東京のことすら私は自分の住んでいる地域のある生活圏内の限られた情報や雰囲気しか知らないのだ。

たとえば今福島原発問題は収束していないし、福島を中心に東北、東京までを含むかなり広い範囲が深刻な放射能汚染に見舞われていると私は思っているが、同じ時間、場所に住んでいながら、私のように危機感を持っている人間もいればまったく放射能など過去のことたいしたことではないと思っている人もいる。

現実には福島の原発は汚染水から土壌汚染まで何一つ収束のめどはたっていないし、これから福島を中心とした関東全域でどれほどの影響がどれほども長い期間にわたって発生するのかさっぱり見当も付かない状況なのである。少なくともチェルノブイリという前提があってその事故後の現象については30年近いデータがあり、それを参考にしても今度の日本の原発事故が無事で済むわけはないと私は思っているのだが、どうも一部ではソビエトの原発はだめな原発、日本の原発は優秀な原発という誤った認識があるようだ。

とにかくその時代に生きているなんて言うのは極ごく一部の側面からの観察に過ぎないのであって、後世に様々な側面からの資料を総括的に知ったほうが全体像としては正確だと私は思う。

さて、石原さんのいうように日本人だけが放射能を知っているのだろうか?ここで言う石原さんの放射能被爆というのはつまり原爆を落とされた広島長崎のことを言っているのだと思う。恐らく石原さんの頭の中に福島県お呼び「関東全域の放射能汚染は端から頭にないと思う。

広島長崎の被爆者をこういう場面で活用するのは広島長崎の被爆者にとってどんな気分だろうか?都合の良いときだけ広島長崎は利用されているように思うのは私だけか。

広島長崎の被爆者の経験を持って日本人は放射能被爆の現実を知っているから放射能を必要以上に恐れないとでも言いたいのか?逆だろう?あの悲惨な被爆経験から発生した差別や非常に長期間わたる影響を知っているからこそ、日本人は放射能を世界の誰よりも恐れているはずだし、実際福島の事故の際には福島県民に対して差別が露骨に発生したではないか。

なんだか、中国人が自分たちは環境の悪いところになれているから毒に強い、日本人は環境のいいところに暮らしていて毒に弱いといっているのとそっくりな非常に低レベルな発言である。

放射能の影響は精神論で語れない。それは純粋に物理的な現象であって、どんな経験や知識があろうとそれに一定量晒されれば生物である限り確実に影響を受けるのだ。

右翼高なんだかしらないが、どうせ10年後には死んでいる可能性が高いこういう老害たちは速く消え去るべきである。未来に対して無責任、自分たちの生きている時間さえ何とかなってればそれで良いというあとは野となれ山となれという輩たちである。

こういうくず老害たちが勇ましいことを語り国内の悲惨から現実逃避をするように軍事を子供がおもちゃを欲しがるようにする様子は醜悪であり一掃したい気持ちになるのは私だけではあるまい。
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買う気にならないカメラ キャノンのEOS

中古カメラ屋でジャンクに並ぶ品物としてはちょっと前であればミノルタだったが、最近あまり見かけなくなった。

安定してジャンク供給量を保っているのはキャノンのEOSシリーズだろう。ダンパーゴムがシャッター幕に溶け出すというすごい症状が特徴だ。

私はこの症状についてまだ知らなかった頃に安さにつられてレンズつきのEOS55,EOS10を購入したことがある。どちらもレンズつきで1000円だった。

EOS55は川で友人とはしゃぎながら撮影していてたら落として水没、お亡くなりに。EOS10は父親に上げたら孫を撮影して現像に出し画面半分が写っていないということでクレーム返品となった。ダンパーゴムの溶け出しという現象を知ったきっかけだった。

調べてみるとEOSの上位機種以外ほとんどすべてにこの症状があるらしい。ジャンクコーナーに多い理由もよくわかる。

だが、私の場合どうもこのEOSだとかミノルタの比較的新しい電気カメラ後の機種に見られる流線型のデザインが好きになれないので、壊しても惜しくないカメラとしての購入以外こういうカメラには手を出さない。

水遊び用のカメラとしてこういう500円とか1000円で売っているカメラの需要が私にはあるのだが、壊れてもいいことを前提に使うとはいえやはりこういうダンパーゴムが溶け出すというような設計上の不具合を抱えていてなおかつメーカーもまったく責任を取らないような機種はジャンクでも購入したくない。

私に近い理由で購入しない人が多いのかどうか知らないが、とにかくあちこちのジャンクコーナーにこのEOS難民はひしめいている。

なんというか中古カメラを見ているとやはり作り手側が愛情を持って世に送り出した機種というのは中古になっても愛されているような気がする。キャノンもいいカメラを作っていたメーカーなのだが、EOS当たりから随分変わってしまったような気がする。

最近のデジカメは個人的にはわくわく感がないというか、ほとんどの製品がメーカー名が違うだけのクローン製品のようだ。もう新製品にわくわくする時代というのは終わってしまったのだろうか。

比べて海外から、あるいは中古カメラ屋から未知の古い中古カメラを購入するときのわくわく感というのはなんだろうか?届いてから操作方法をあれこれ模索しながら、撮影結果を見てがっかりしたり感動したりする。

新しいデジカメで撮影してがっかりするときの下らないものを買ってしまったという気持ちと古いカメラで撮影してやっぱりだめな結果でももっと試行錯誤してみようという前向きな気持ちはどこから来るのだろうか。

温故知新ではないけど、なんというか私の場合古いものの中にわくわく感や可能性を感じてしまう。新しい道具を始めて使うときの不安と期待というのが最近の道具にはないような気がする。みんなそれなりの品質で可もなく不可もない結果が出る。操作系も融通が利かないというか極端にシンプルにしてあったりして、イレギュラーな使い方はそもそもできないような風になっている場合が多い。フールプルーフも設計の重要な要素だが、馬鹿なことができる要素も遊びの中では大事なのではないか。

レチナのわしづかみ?

すっかりお気に入りになったレチナであるが、先日図書館で借りた赤瀬川原平さんのカメラエッセイを読んでいたらこのカメラのことが書いてあったのでちょっとまじめに読んでしまった。

赤瀬川さんによるとこのカメラは背面から右手を使って鷲掴みにするとフォールディングがよく、ぶれないと書いてある。ふーん?と思ってやってみた。

無理である。私は手がかなりでかいのだが、私がそのつかみ方をするとたとえばシャッターボタンに人差し指がくるようにすると親指はとんでもなく前に行ってしまうというかカメラすっかり包み込んでしまうので、これじゃどうしようもない。赤瀬川さんによるとこれで巻き下ながら撮影もできるということだが、よほど手の小さい人なのだろうか?だが、このカメラはドイツ製である。ドイツ人はきっと私の手のサイズは標準サイズではないだろうか。そうすると赤瀬川さんのいう持ち方はありえないのではないか。

このカメラはそもそもレンズシャッターであり、非常に手振れがしにくい。レリーズも適度な深さでいろんな意味でぶれにくいと思う。私の持ち方はこうだ。

左手で下から小指側は開いた前蓋にかかり、親指はフォーカスノブにかかる。この状態でほぼがっちりこの小さなカメラはフォールディングされる。右手は側面からつまむような感じで人差し指か親指でシャッターを切る。

こういうカメラで連射とか私はあまり考えない。ファインダーを覗きながら連射とかそもそもあまりしない。自動巻上げのカメラならただレリーズボタンを押すだけなのでそういうことをしてみようかとも思うが、私の場合利き目が左目なのでファインダーを覗きながら巻き上げるのはすごくやりにくいのである。後はめがねをかけているというのもあるかもしれない。

バルナックとかのノブ式カメラでもファインダーを見ながら巻き上げる人がいるらしいが、私はせっかちなので逆にああいうまどろっこしいことができない。

レチナの場合巻上げが下についているのでなんとなくできそうな気がするが、このカメラは巻き上げ部分の部品に故障が多く、乱暴な巻上げは壊す原因になると聞く。なので、私はファインダーを覗きながら巻き上げるのはレチナに関して結構リスクが高いのではないかと思って、たとえできたとしてもやらないだろうなと思う。

私がぶれないフォールディングで悩むのはどちらかと言うと二眼レフである。レンズシャッターであり、ミラーショックもないのでぶれにくそうだ。腹にしつけて呼吸を止めてレリーズしたらまずぶれないだろうと思うのだが、ところがどっこい、シャッターボタンの位置次第なところがある。フレクサレットはいいカメラだが、唯一気に入らないのがシャッターボタンである。あの位置、レリーズの深さが非常に気に入らない。この点ローライフレックスなどはさすがというか、ボタンの位置もレリーズの深さも絶妙である。3.5Fの話だが。

ライカもレリーズの深さに関しては絶妙で深すぎず浅すぎずなんともいえない感触である。

フェザータッチといわれたオリンパスのXAだが、あれは新品当時はそうだったのだろうが、私の所有するXAはちょっとつま先で押さないと反応しない。はがして掃除しようかと思っているがほったらかしてある。

深いのが所有するLCAである。こいつはかなり押し込まないと切れない。こいつも分解して調整しようかと思うのだが、どうも外装がやわい感じのカメラというのは分解するのが怖い。破損させてしまいそうでなんとなく腫れ物に触る感じだ。

カメラの感想って結局その人の体の特性なんかもあるので自分で実際手にとって確かめないとなんともいえないというのが実際のところだなあと赤瀬川さんの本を読んでいて思いました。

NIKON EM 試写を見て

EMで試写した結果が出た。

感想としてはふーんという感じ。ここしばらくこんな新しいレンズはほとんど使っていなかった。まあ新しいレンズといっても1980年のレンズなのだが、普段戦前のレンズを中心に1950年ぐらいまでのレンズを使っている私としてはかなり新しいレンズなのだった。

まず標準の50mmF1.8だが、ニコンの標準レンズとしては出来が悪いのではないかと思う。周辺が甘いのだ。中心も特にいいわけではない。以前、43-86のズームレンズをもらったことがあり、そのときも驚いたが、ニコンが手を抜いたレンズというのはひどいものが多い。私は標準レンズという穂は各社それほど外れがないものだとおもっていたが、EMの標準レンズは外れではないかとおもう。もちろん私のレンズが問題があるのかもしれないけど。

35mm、100mmもあまりよくない。やはりエントリー向きに作ったのかどうか知らないが、こんなのニコンじゃないなという感じでがっかりだ。

動作チェックとしては私の只でもらったEMはまったく問題がなかったことがわかった。モルトがかなり劣化していたので光漏れがありそうだなと思っていたのだが、問題なかった。露出も適正、巻き上げも問題なし。心配していた手振れだが、15分の1以下で切った写真は手振れしていた。それ以上は特に問題ない。

以前はたくさん持っていたニコンマウントだが、今は只でもらってきた子の3本の交換レンズしかないため、画質に不満な私はまたニッコール50mm F1.4を購入してしまいそうだ。あの標準レンズはいい。

とはいえ、EMの標準レンズは非常に薄くて、パンケーキみたいな薄さでこれはこれで移りが良かったら最高だったのに残念である。中国人の友人にあげてしまったほうが活用してくれるだろうか。私はこのレンズの写りだとちょっとフィルムを通すのがもったいなく感じてしまう。とはいってもやはりいいカメラである。なのでかみさんにあげることにする。

SBLOO購入失敗記 かわなければよかった

ライカに限らずレンズ交換式のレンジファインダーで入り始めの頃に悩むというか迷ったのがファインダーだった。

一眼はレンズを交換すれば交換したレンズの画角がそのままファインダーに写る。レンジファインダーは切り返されるタイプであっても画角が限られていて不便だとおもった。だが、レンズのF値が暗くてもファインダーは暗くならないし、そういう点はいいなとおもっていた。

まあ途中からかなりアバウトになってピンをあわせたいところにあわせたら後は想像画角でいいやとあてずっぽうなフレーミングをしていた。

ライカの外付けファインダーというのはレンズ並みに高くておいそれと手を出せない。私が手元に持っているのは50mm、35mmのファインダーである。50mmは7000円ほど、35mmつまりSBLOOは2万ほどで買った。安く買ったほうなのである。恐らくこれの倍ぐらいは平気でしているはずだ。私のは外見があまりきれいではないので安く買えた。

購入してから眺めて満足していたのだが、実際には私はバルナックなどの場合そのコンパクトさが気に入って使っているのでこれをシューにつけると非常に持ち出すのが嫌になってしまい、結局ほとんどつけていない。所有することに意味があるような無駄なアクセサリー購入だった。

ただこの二つは覗いてみると本当に美しくていいなとおもう。だが、SBLOOなどバルナックに漬けると馬鹿みたいに邪魔臭くてこんなのつけていられるかと思う。

ファインダー単体で楽しめるアクセサリーである。たまに取り出して風景を眺めるとこのフレーミングで撮影するといい感じかなという目安になる。カメラにつけていたら絶対にシャッターを押してしまってそうな作業だが、ファインダーだけならどうってことない。街中でこんなことしていてもそれほど目立たないというのもある。

それにしても一眼というのは別な魅力を持っているなと思う。前の記事でNIKON EMを書いたが、これで久々にレンズを通したファインダー像を見ていてつくづく、接写と望遠はやっぱり一眼だなと思った。それぞれ役割が違うのだ。レンジファインダーは標準と広角、一眼は広角、標準、望遠、接写となんでもござれだが、やはりレンズF値に左右されてしまう視認性とミラーショックが惜しいところだ。

さて、所有していることでの満足感という意味では外付けファインダーというのは素晴らしいが、SBLOOについては高すぎる。この間中野のフジヤカメラに行った時にオリンパスのミラーレス一眼の外付けファインダーがあった。プラ外装だが、SBLOOに似た形をしていて興味が出たのでなんとなく出してもらった。

覗いてみて驚いた。SBLOOほどではないが、十分くっきりなのである。状態は新品同様で3980円。ちっ、こんなことならこんなのでよかったな。。と私は思って悔しくて買ってしまった。そのファインダーは17mmレンズ用のファインダーで34mmぐらいのファインダーらしい。中のフレームを無視すると28mmぐらいの画角である。

カメラにつけると邪魔なので私はもっぱらこれをポケットにいれて時折出して町を眺める。カメラを出してシャッターを切ることはめったにないが、こんなフレーミングの作業も楽しいものだ。

しかし不思議だが、カメラのファインダーを覗いてフレーミングをしているとつい無駄なシャッターを押してしまうが、私の場合外付けファインダーを覗くのはこういう意味の節約になってとても使い勝手がいい。

というわけでSBLOOなんて馬鹿高いものは所有欲を満足させるだけなので実用なら最近のデジカメ用外付けファインダーを中古で安価に購入することをお勧めする。
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