大連の葬儀

先日大連の彼女の家で訃報があった。父方のお父さんだそうで、89歳だったという。あと2か月で90歳だったのにねえと彼女は言っていたが中国では88歳のお祝いというのはなかったらしい。

中国の葬儀というのは参加したことがなかったので、いろいろくわしく話を聞いてみた。彼女は今年26歳だが、葬儀に出るのは今回が初めてだったようだ。

まずお爺さんがなくなって、親戚中に電話が回る。知らせを受けた親戚たちはそのままお爺さんの家に集まる。これは何時であろうと関係なくとにかくさっさと行くようだ。

遺体はひとまず、冷蔵庫のある公安に預けられる。日本だとドライアイスなどを棺に入れてそのまま遺体は家に置くことが多いと思うが、中国ではまず公安に遺体を預けるらしい。

それから公安で火葬場の手配もする。この火葬場の手配に日本と中国の違いを感じた。

どういうことかというと中国では火葬は一番最初に焼かれることを好むらしい。日本の一番風呂ではないが、ほかの人が焼かれたあとに遺体を入れるというのは抵抗感があるようだ。なので、とにかく一番最初に火葬してもらうことを遺族は望む。

ここで、公安に当然というか賄賂が手渡される。1000元ぐらいだったそうな。

さて、一番最初の火葬というのは何時であるか、私は聞いて驚いた。朝の6時である。したがって朝の4時ぐらいからみなお爺さんの家に集まる。

遺体を運び出すと外で盛大に爆竹を鳴らす。まだ夜も明けきらない平日にあのバカでかい爆竹音が鳴り響くのだ。中国人は慣れてるようでああ誰かの葬式かという感じでみな窓から眺めているという。

爆竹が鳴ると親戚はみなそのまま地面にひれ伏して泣く。これは一つの作法らしく、泣けなくても声を出して泣く真似をするらしい。

それから遺体は火葬されるのだが、火葬にかかった時間は30分ほどだったらしい。焼き終わった遺骨は骨壺に入りきらない場合、捨てられるという。

それから山の墓地に向かうのだが、彼女の話によるとその日その山はその時間にもかかわらず大変な人出だったという。

中国の墓地は風水にちなんで建てられるので、背後を山、前を海というのが理想である。彼女のお爺さんの墓もまたこの風水に従った場所にあるという。墓地の使用は20年で20年間の使用料は25000元だったという。この価格を聞いて、うーん、日本よりも高いかもしれないなと思う。

ここで、彼女と自分が死んだら、日本と中国どちらに埋葬してほしいかという話になった。私はこれといったこだわりもないのでどっちでもいい。というか死んだらもうわからないのであまり興味もない。

彼女はやはり中国に埋葬されたいとのこと。年齢から言えば私のほうが先に死ぬと思うが、こういう意思確認は一応しておいたほうがいい。実際には私は実家の先祖代々の墓があるし、長男なので日本の墓に入ってしまいそうだが。

中国の墓事情というのは実際のところあまり詳しい情報は見当たらない。こういうものも一度調べておいたほうがいいのかもしれない。

猫の思い出

猫はかわいい。私は高校生の頃に捨てられた子猫を一度に三頭面倒見たことがある。子猫は生まれた直後で連れていった動物病院ではこういう場合母猫がいないと生き残るのは難しいと言われた。

私は元来動物好きなので、医者からアドバイスをもらいながら試行錯誤の末になんとか育てた。定期的に授乳させ排便させる。子猫は母猫におしりを舐めてもらって排便をするので適当なころ合いを見計らって濡らしたティッシュを紙縒り状にしてからそっと肛門あたりをくすぐるようにすると、子猫たちは排便するのだった。

猫の成長は早い。少し経つと目をあけ歩き出し、自分で適当にトイレを決めてそこでするようになる。必ず排泄物はきっちり埋める。このあたりは犬と違うところだ。普通は母猫が舐めてきれいにしてあげるので私の場合はちまちまと体を拭いてあげた。

子猫は完全に私を母親だと勘違いしていた。とにかく私のそばにべったりである。朝、登校しようと駅に向かう時もこっそり後をつけてくる。駅までついてきたこともあって、そんなときは仕方なく3頭とも抱き上げてまた家に戻ったこともある。

猫を最後まで面倒見たことのある人はわかると思うが、猫が家に執着して飼い主にはあまりこだわっていないというのはうそである。あれは飼い方次第という部分が強くて私のような形で育ててしまうともう猫はそれこそ犬以上に飼い主にべったりになる。

私が高校を卒業して一人暮らしを始めた頃、私はアパートでは猫を飼えないため猫を実家に置いてきた。住み始めてしばらくしてから猫はどうやって私のアパートを知ったのかいまでもわからないが、調布から大田区まではるばると家出をしてきた。

私は実家につれてかえったが、3頭のうち1頭の雌猫はそれでもしつこく私の部屋まで家出を繰り返すので大家に事情を話して私の部屋で飼うことを許してもらった。

この猫はとても落ち着いた猫だった。ご飯を上げてもほかの猫が食べ終わるのを待って食べ残しを食べるような猫だった。控え目で我慢強い猫というのがこの猫の印象だ。私は半分妹のような形でこの猫に接していたが、飼い始めて10年ほど経った頃、たまに自分よりも年齢が上に感じるようになった。実際に生きてる年数は私のほうが上なのだが、猫の態度や振る舞いを見てるとどっしりと落ち着いた態度と妙な気品すら感じた。

やがて、さらに10年が経ったとき、もう20年も生きた老猫は兄弟の中で一番長生きして死んだ。死んだのは今交際している中国の恋人と出会い私が大連に行こうか迷っている時だった。

この猫を置いていくことは絶対にできないし、最悪大連まで連れて行こうと思っていた矢先に猫は死んだ。私にとってこの猫はある意味人間の友人以上であり、家族以上の存在だった。それが生涯の恋人と思える人との出会いのタイミングで死んでいった。

この猫は人の好き嫌いが激しく、嫌いな人には近寄りもしない子だったが、初対面でも好意を持てる人には気安い猫だった。私はこの猫の人判断を半分信じていて友人ができるとこの猫に会わせていた。この猫が気に入る人は良い人、気に入らない人はなにかしら問題のある人だと漠然と思うようになっていた。

なので、私はこの猫と今交際している大連の恋人を一度会わせたかった。逆にこう思うこともある。今の恋人の登場でこの猫は去って行ったのではないかと。いわば私の精神的なよりどころでもあったこの猫の役目は終わったのかのような死だった。

シンクロニシティの一種というかこうしたことは時折日常の中で見られるものだ。

たとえば、私の祖父の家はもうすぐ取り壊されるが、毎年たくさんの実をつけていた大きな梅の木は今年実をつけなかった。この木は家とともに撤去される。木も自分の運命を知ってるのか偶然なのか何十年と実をつけていたこの木は取り壊しの決まった今年に限って実をつけなかった。

主をなくしたとき、それは幕を下ろすかのようにあっさり表舞台から去ってしまうことがある。そんな出会いのバランスが微妙に保たれているのが人生なのかもしれない。生きるというのはいわば他者との共時性を展開していく過程なのだ。

中国の宝くじ

日本同様中国でも宝くじは大変な人気がある。特に若い男性は宝くじを習慣的に購入してる人をよく見かける。もっとも私の周りで当たった最高額は300元ほどだったが。

さて、私は宝くじを買ったことがない。確率的にあまりにも低すぎて無駄な出費のように感じるためだ。だが、買わなければ当たらないというのもまた事実であって、購入することで当選番号が発表されるまでの期間それなりに楽しめるのであれば安いものだという意見も理解できる。

日本で宝くじが当たった人のエピソードなどを聞くとたまたまお金を崩すために購入したやつが当たってしまったとか無欲な人にそうした幸運が飛び込んでるような印象を受ける。

確かに当たることを期待して購入してる人で当たったという人の話はあまり聞かないが、このあたりが宝くじの面白い部分であるともいえる。

中国の宝くじが当たった人のエピソードで面白い話を聞いたのでちょっと書いておく。

話は二つある。

まず一つは私の彼女の会社に勤める人が最近500万元を当てた。で、その男性は貯金しつつそのまま勤めてるらしい。

もう一つのほうは昔、宝くじを2度も当てた男性がいて1000万元の大金を手に入れた。日本円にしても1億5千万、日本人の貨幣価値でいえば5倍ぐらいが相当すると思うので7億5千万手に入れたようなものである。

この人は中国でも高級な住宅地に家を購入した。始めそこに満足して住み始めたが、住んでしばらくしてから、自分がその地域では大した金持ちではないことに気がついた。人間の欲望は怖いもので、そのまま満足すればいいのだが、この男性はさらに金持ちになろうとして、住宅を購入して余った金額を全額宝くじの購入に充てた。そうそう幸運は続くものではなく結局この男性はあっという間に破産したそうである。

所詮あぶく銭なのだからいい夢を見たと思えばそれで済みそうだが、とはいっても7億5千万もの大金で一生遊べるだけの金があっても周囲を見回せばさらに上がいて、それまでの貧乏人がさらに欲望を煽られるというこの話の顛末に私はちょっと日本の昔話のような教訓めいたものを感じた。

もしもこの男性が一つ目の彼女の会社の人のように単に貯金して普通に暮らせば精神的にも余裕のある生活が送れたはずだ。それが背伸びをして高級住宅街の金持ちの中に身を投じたためにすっかりこの男性の人生は狂ってしまった。

身の程をわきまえるというのはこのことだろう。どんな人でもひょっとした幸運が舞い込むと気がたまにはあるのだろうけど、そんな時は冷静に幸運は幸運として人生のおまけ程度に受け止めることが大事なのだろうなと思う。欲をかきすぎてもそれだけの器がなければ崩壊するのが落ちのようだ。

湖南省で橋崩落事故があったらしい

彼女の話によると湖南省で橋の崩落事故があったそうだ。

当初、報道では橋の崩落で16人が死亡と伝えられたそうだが、中国の法律ではこうした10人以上死亡した場合、こうした公共設備の事故であっても関係者の責任追及はかなり上のほうまで行ってしまうということでその後の報道ではなぜか死亡者は9人になったそうだ。

事故報道で死亡者が増えることはあっても、減ることはまずなさそうだが、この橋の工事はかなりずさんなもので、橋の建設資格のようなものを見取得の業者が作ったとんでもない不良建築だったそうなので死亡者が10人以上になると刑罰の重い中国ではきっととんでもない量刑が科せられるためこうした隠ぺいが行われていると思われる。

だが、死んでしまった人は実際にいるわけで本人は死人に口なしだろうけど、家族は黙ってないだろう。当然隠ぺいするために遺族にはそれ相応の金額が支払われるはずだ。

公式に発表されている死亡者9人には40万元の補償金が支払われるそうで、この隠蔽された死亡者の遺族にはさらに大きな金額が支払われるのではないかと想像される。

日本では考えられない顛末だが、中国ではこうした処理の仕方は日常茶飯のようだ。

まあこんなのは氷山の一角で、どうみてもやばそうな建築物の多い中国である。ここ数年で秀吉の一夜城ではないが、急ピッチで建築されたものはほとんどみなこうした不良建築ではないかと個人的には思う。

今後10年でこうした事故が多発するのではないかなと思った。

大連の入境管理局が移動したという話

中国で働く外国人が必ず一度は足を運ぶ場所、それが入境管理局と労働局だろう。大連の場合、この二つは今までもちょっと離れた場所にあって書類などに不備があったとき非常に困ったものだったが、今年の2月ぐらいから入境管理局は開発区の近所に引っ越したそうだ。私は今日初めて知った。

彼女の話によると付近には何もないかなり荒涼とした場所にぽつんと入境管理局の真新しい立派な建物があるらしい。どうせなら労働局も同じ建物に入れて引越せばいいと思うのだが、労働局のほうは相変わらず前の場所にあるらしいから中国人のやることは相変わらず不思議である。

私は大連にいたとき就業ビザの切り替えでこの二つの場所を数回行っているが、すんなりと終わったためしがない。ほとんど毎回ほとんどいやがらせかと思うようなことを指摘されたり、相手がハンコの日付を間違えたりして行ったり来たりうんざりした記憶がある。

前の距離でさえもうちょっと近所にあればいいのにと思っていたのが今度は開発区の近所に行ってしまったと聞いてちょっとショックを受けた。

開発区に勤める外国人からすると大した違いはないかもしれないが、ソフトウエアパークやハイテクゾーン、市内の学校などに勤める外国人からするとうんざりだろう。

ビザの更新はまともな会社であれば別に本人が同行しなくても処理してくれるが、はじめてビザを作ったときはいちいちこの入境管理局に行って写真を撮影しなくてはならなくなったそうなのでまた偉く面倒になったなと個人的には思った。

住居登記についても場所によって公安のルールは違うようだ。私は郊外に住んでいたが、そこの公安は単純に大家と同行して登録するだけだった。だが、彼女の会社のお客様が最近星海公園の近所に住んだのでその管轄の公安に登記に行ったところ、ビザの写真があるページのスキャニング画像が必要であるといわれたらしい。案外法律がころころ変わる中国なので最近は皆そうなのかもしれないが、挙句にこの公安ではスキャナーが動かず自分でスキャニングした画像を持ってもう一度登記に来いと言われたそうな。住居登記は24時間以内にしなければならないという縛りがあるので彼女は急いで会社に戻りスキャニングした画像をまたUSBに入れて持ち込みようやく登記完了となったらしい。

話を聞いてるだけでもうんざりだが、一応これから大連に住む人もいると思うのでこの程度の手間がかかるらしいということを書いておく。私も年内には大連に戻るつもりなのでこの話を聞いてかなり鬱になった。

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